(最終回)告白~カミングアウト ビリギャルが心底うらやましかった!

告白~カミングアウト ビリギャルが心底うらやましかった!

(続)告白~カミングアウト ビリギャルが心底うらやましかった!

と2回に渡って、私の妻に起こった事

を書いてきました。

今回はこの長い告白を終わり

にしようと思います。

このブログはまだ終わりません。

最初の妻の闘病記の部分は

長くなりますので、身近に

そのような家族がおられる

方など、時間と興味がある

方に読んで頂ければ、

と思います。

(かなりの長文です)

時間の無い方は

「会社、妻の介護、子供の教育の両立の生活のはじまり」

から読んでください。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

毎日、会社の帰りはお見舞いが日課になりました

容態が落ち着くまでは

会社は休んでましたが、

そんなに長く、休むわけに

は行きません。

とても、集中できる状態では

ありませんでしたが、

なんとか、仕事を開始しました。

仕事は定時に切り上げて、

帰りは

湘南鎌倉総合病院

に寄って、面会時間が終わる

20:00まで居ました。

前の記事では「XX病院」

と書きましたが、実名を

書いておきます。

万が一、同じ病名

脳動静脈奇形(AVM)

で検索された方が

「ガンマナイフ」

のことや信頼できる病院

の情報が分かれば、大変

嬉しいからです。

最初のうちは、ただ、妻の

寝顔を見ているだけでした。

頭には管が入ったままです。

どれくらいからでしょうか、

少しは起きていられるように

なりましたが、意識は朦朧

(もうろう)としている

だけです。

1ヶ月以上か経ったころ

(もう、記憶が定かでは

 ありません)

でしょうか、主治医から

再出血防止のための

「ガンマナイフ」の

手術を薦められました。

「今さら」とは思い

ましたが、

「お願いしますと」

返事をして、

ガンマナイフのある

茅ヶ崎徳洲会総合病院

に移りました。

日程調整のために、

数日間、入院しましたが、

手術は「すぐに」終わりました。

「こんな簡単に終わるのか」

「この手術させ、受けていれば」

とまた、後悔の念でいっぱいに

なります。

また、あの町医者のことを

思い出すのでした。

(名前は出しません)

リハビリの専門病院に転院します

「急性期」の治療を終えた

脳卒中の患者は「回復期」

という段階に移ります。

ここでは、リハビリが非常に

重要になってきます。

このため、リハビリ専門病院に

移りました。

自宅からも会社からもかなり

遠くなりましたが、妻の回復が

なりより最優先でしたから、

優秀だと聞いたリハビリ専門の

鶴巻温泉病院

にお世話になることにしました。

リハビリの専門家との出会い

鶴巻温泉病院の先生方、リハビリ

のスタッフの方々には本当に

お世話になりました。

結論からお伝えしますと、言語や

記憶までは回復しませんでした。

しかし、胃ろうは避けられないと

思っていたのですが、自力で食事

ができるところまで回復させて

頂いたのです。

この自分で食べるという機能

がどれほど大切かには本当に

驚きました。

回復の速度がまるっきり

違ってきます。

毎週、土曜日は娘を連れて鶴巻温泉病院まで一泊旅行でした

鶴巻温泉病院には患者の家族が

宿泊することができました。

部屋は限られているので、

予約の開始時間にはすぐに

連絡を入れて、毎週、宿泊

するのでした。

その頃からでしょうか、

お笑い番組を娘と一緒に

見出したのは。

もしかすると、お笑い番組が

無意識に心の助けになって

いたのかも知れません。

自家用車も車椅子付きのものに変えました

退院するまでは私は会社の帰りに

鶴巻温泉病院に寄って、自宅に

戻るのは夜の11時位だったで

しょうか。そんな毎日が

始まりました。

3ヶ月くらい経った頃でしょうか、

退院が近づくと、

「自宅へ帰る訓練」

の説明がありました。

医療用のタクシーで

帰宅もできたのですが、

退院後のことも考えて、

車も補助席そのまま車椅子

になっているタイプのもの

に買い替えました。

妻が退院して、自宅に戻ってきました!

妻が、脳卒中で

・急性期では脳出血との手術を

 湘南鎌倉総合病院

・再発防止のための手術

 茅ヶ崎徳洲会総合病院

・慢性期ではリハビリ専門の

 鶴巻温泉病院

という流れで治療とリハビリを

終えて、念願の退院となりました。

右手右足は麻痺したままです。

話せる言葉は

「ごはん!」

くらいです。

きちんとした言葉は喋

(しゃべ)れないくせに

「お腹すいた!」

だけは、言えるのですね。

排泄もきちんとコントロールできず

紙おむつです。

それでも、私と娘にとっては

それはそれは、大変な喜びでした。

一時は死も意識した、妻が自宅に

戻ってきて、一緒に生活を始めること

ができたのですから。

相変わらず、自分が誰であるかも、

私と娘がだれかはわからずでしたが、

私達、父娘は心からこの母親の退院

を喜ぶのでした。

会社、妻の介護、子供の教育の両立の生活のはじまり

「もう、これ以上に悲しむことはないと」

信じて、会社、妻の介護、子供の

お弁当作りなどの両立が始まりました。

社会福祉生協のお弁当や

家事サービスを頼んだりして、

何とか新しい生活を

始めるのでした。

週末には車椅子付きの車で

ドライブにも行ったりしました。

このまま、そのような生活が

続くと思い、妻が生きていて

くれることに感謝しました。

でも、その新しい生活にも神様

は味方をしてくれませんでした。

どこまで苦しめばいいのか?神様を本当に憎みました

なんとか、会社、介護、子供の

教育を両立しようとしました。

しかし、神様は味方をして

くれませんでした。

最初の異変

介護疲れも出始め、また、

仕事もいつまでも、多目に

見て頂くこともできずに、

無理が出てきたようです。

とうとう私の身体に異変

が起こりはじめました。

いくら疲れていても、

朝方になっても眠れなく

なってしまったのです。

「睡眠障害」の始まりです。

「そのうち、疲れて眠れる

 ようになるだろう!」

と最初は気軽に思って

いましたが、何日経っても、

眠れません。

さすがに、日中もフラフラ

になって、仕事のミスも

目立つようになります。

最初はどこの病院にいけば

良いのかわからなかったので、

とりあえず、近くの内科に

いきました。

内科の先生は精神科へ

行くようにアドバイス

してくれました。

ストレスが続くと、どうなるのか?

「眠れないだけなのに、精神科か」

と思いましたが、精神科の先生に

言われたのが、地獄の始まりでした。

「うつ病です。しかも、

かなり状態は悪いです。」

となりました。

睡眠薬と安定剤ももらい、

通院を続けるのですが、

良くなりません。

病状はどんどん悪化しました。

しかも、これだけでは終わりません。

精神科の先生に薦められて、

精密検査をしたところ、

「膀胱がん」が見つかりました。

すぐに入院して、手術です。

幸い、早期がんのため、

今も生きています。

ストレスはどれほど身体に悪いのか?

うつ病にかかった後のお話は

最近では多くの情報がありますから、

手短にしておきましょう。

・妻の介護はできなくなりました

・うつ病のために、入院もしました

・かなり時間がかかりましたが、

 ようやく回復しました。

とざっくり言うと、こんなところです。

私の病気だけでは終わりませんでした

「えっ、まだ、あるんですか?」

って思いますよね。

そうなんです。

娘も小学校2年生で母親が

倒れ、父親が精神疾患を

患(わずら)い、平気な

わけは無かったのです。

娘にも病魔の手が

待ち受けていたのです。

娘も、

・うつ

・摂食障害

で精神科に通院することに

なるのです。

高校生の時に発病しました。

もう学校に行かなくても、ええやん!

中学までは白百合学園でしたが、

高校からは娘の意思で公立高校へ

行きました。

長年、女子だけの生活に疲れも

あったようです。母親のことを

誰もが知っているということも

避けたかったのかもしれません。

白百合学園は家の近くだったのですが、

高校がかなり遠くなりました。

そんな中での発病でした。

土曜日に精神科に通院して、

平日は薬に頼って、通学です。

毎日、青い顔をしながら登校

していました。

高校3年生の春くらいでしたか、

とうとう限界が来たようです。

学校へいけなくなり始めたのです。

毎日、娘から出る言葉は

「テスト勉強しないと」

「卒業しないと」

「出席日数が」

以前

くだらない考えで、娘の能力を潰さないようにする。せこい親にならない!

の中で、

「私、勉強したいから、慶応受けるわ!村井先生

(日本にインターネットを普及させた先生です)

の学部にする!」

と「さらっと」書きましたが、

この決心をした少し後くらいから、

学校に行けない日が目立つように

なってきたのです。

「卒業しないと、受験できない!」

と毎日、倒れそうになりながら、

学校に通っていました。

うつだけでなくて、

摂食障害がありましたから、

過食をしては嘔吐したり、

また、全く食べなかったり。

そのような状態の毎日でした。

私もさすがに見ていられなく

なりました。

そこで私が娘に言ったのは

「もう、学校いかんでも、ええやん!」

でした。

「受験できそうやったら受けたらええし」

「あかんかったら、また、来年でもええやん」

と。

娘は

「でも、慶應受験したい!」と

毎日泣いていました。

私達、親子が出した結論は?

今まで、書きませんでしたが、

「娘は高校を卒業できませんでした」

「えっ、じゃあ、慶應大学に

 通っているというのは嘘?」

と思われますよね?

いいえ、嘘ではありません。

これがまさに「告白」になる

のかもしれません。

私達、親子が悩んだ末に出した結論は

「高等学校卒業程度認定試験」

です。

これを、夏に受けて、受験資格を得たのです。

高校の先生にも理解を頂きました。

反対するどころか、応援を頂いたのです

本当にありがたかったです。

後は娘の身体と相談しながら、

自宅での勉強が始まりました。

最初は

「滑り止めをたくさん、

受けないとね」

と二人で話していたのですが、

娘はとんでもないことを言い出します。

「総合政策学部と環境情報学部だけ受験する」

と。

国立も視野に入れていましたが、

受験科目を絞ることにしたのです。

体調が悪くて、そんなに長時間

勉強時間が取れないからです。

「数学と英語と小論文」

で受験、というのが、

最終的には

「英語と小論文」

だけになりました。

慶應は帰国子女が

多数受験します。

それなので、英語だけで

受験するのは非常にリスク

が高いのです。

でも、

「英語と数学は無理」

となり、

「英語一本」にしぼります。

しかも、

総合政策学部で体力を

消耗するのはだめだ

ということになり、

第一志望の

「環境情報学部」

のみの受験にしました。

ビリギャルが心底うらやましかったのはこういう背景があったからです

先の投稿でビリギャルがうらやましかったのは

「合格を喜ぶ家族が皆

元気だったからです!」

と書きました。

もちろん、これもあったのですが、

これに加えて、このような背景が

あったからなのです。

「やることはやったよ!」

と受験を終えて娘は帰宅しました。

それこそ、

「バタンキュー」でベッドに

直行でした。

我が娘ながらに

「よく頑張った!」

と思いました。

でも、不安でした。

「あかんかったら、

 来年また受けたら

 ええやん!」

と言いつつ、

「合格してくれよ!」

と毎日祈りました。

「お父さん、通ったよ!」

と聞くまではまた眠れない

日が続きました。

だって、条件悪すぎですよね。

・病気で

・学校にも行けず

・当然、塾へも行かず

・高卒認定試験でようやく、受験資格を得ながら

ですよ?

あきらめずに頑張ればなんとかなる!

「頑張る!」

「努力」

という言葉は

あまり好きではありません。

でも、

絶対失敗しない方法

は気に入っています。

母親(妻)が行きたいと願っていた

慶應大学の合格。

「お母さん、応援してくれて、

 ありがとう」

って言ってきたよ。

と書きました。

私はその時、

精神疾患が悪化して

外に出ることが

できなかったのです。

きっと、嬉しさのあまり

私の身体が「ええ~!」

とマスオさん状態になった

んでしょうね。

→ ここは笑うところです。

何度も

「これは、無理だ!」

と思いました。

でも私達、親子は

「あきらめずに続けました」

私たちが長くてつらい経験から

学んだことは何でしょうか?

ときかれたら、

「あきらめずに続けること」

と答えるでしょう。

このブログで

「経験が全てです」

「行動しましょう」

と言い続けてきました。

それはこれらの言葉の

意味を本当に知っている

からです。

「相談をどうぞ!」

だって?

と思われた方も

いらっしゃると

思います。

たかだか、

外資系のIT会社の経験と

慶応大学現役合格

だけでしょ?

とも思われますよね?

でも、望んでもいない

経験を多くしてきました。

これから、私達は

「カウンセラー」

「コンサルタント」

「コーチング」

の1年生になります。

「神様はなぜ、私たちに

これほどの試練を与える

んだろうね?」

というのが娘と私の

疑問でした。

その答えの一つは

「人の痛みをわかるようになりなさい!」

なのかな?

と話しています。

これを、私たちの「強み」

にしたい、です。

あなたも

「絶対に失敗しない方法」

を一緒に学んでみませんか?

私たちはかならず

「答えはある」

と信じています。

絶対に失敗しない方法の第一歩を踏み出してみる!

・お父さんがウザいけど実は話をしたい

・親が勉強しろ!とうるさい

・大学行くより、他にやりたいことがある

・娘(息子)から避けられているようだ

・娘(息子)が勉強しない。どうすればいい?

・プレゼンがヘタで困っている

・人前で話すのが苦手だ

・英語の勉強法を知りたい

・集中力がない

・仕事がてきぱきと進まない

・残業ばかりで、子供と話す時間が無い

・うつ気味だが、まず、どうすればいい?

・うつから立ち直るには?

・眠れない時や元気がないときはお酒をのめばいいの?

・最近、眠れないがどうすればいい?

・介護保険認定はどうすればいいの?

・障害者手帳は

と思いつくことを、そのまま書いています。

このような気軽な気持ちで

連絡をしてみてください。

自分でもそうなのですが、

「自分が何で悩んでいるかがわからない」

「なんだか、モヤモヤする」

ということが多いです。

是非、私たちに相談してみてください。

一生懸命に答えさせて頂きます。

お申込はこちらをクリック

ダンディパパ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
%d bloggers like this: