経験が多ければ、「話すことが無い」なんて事にはなりませんから

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自分の経験を話せば、娘さんとの会話に困ることなどないと思います。経験が少ないのなら、危険かも?

笑いが無い、ユーモアが無い、話題が無い父親は嫌われます!

の中で、
 
「共通の話題が無いので、話が持ちませんね。」

というお父さん。



それは「思考停止」ですし、怠惰です。
娘に対して、興味が無いのか、大切に思っているとは思えません。



「花子(例が笑えるでしょ?)は将来、何になりたいんだ?」

「バイトは大変じゃないのか?」

「おお、その服ええやん!ブランドはどこの?」

「ダイエットするっていうけど、受験が終わってからにしたら?」



と、娘に関心があるのなら、いくらでも話題はあると思います。
 
と書きました。
 
 
今回はもう少し、ヒントになることをお話しします。
 
経験が多ければ、「話すことが無い」なんて
事にはなりません
 
が今日のテーマです。
 
 
どういうことかと言いますと、上に示した、下線の部分ですが、
確かに娘さんに関心があるというのは伝わると思います。
でも、あまり、響かないですよね?
 
何故でしょうか?
 
誰でも出来きることだからです。
 
 
私は経験から来るお話、エピソードなら、何より、事実ですから、
説得力があると考えます。
 
1.  「英語が出来たほうが、いいと思うよ。」
というより、
 
2. 「お父さんは、こうやって、英語をマスターしたんだよ。
で、こんないいことがあったんだよ!」
 
という方が、「聞いてみたい」がまるっきり、違いますよね?
 
1.だと、「お父さん、英語できないじゃん!」と思われておしまい、
の可能性が高いですよね。
 
 
で、私の例をご参考にして頂ければ、と思い、
私の経験をお伝えしようと思います。
 

マイクロソフト本社での経験

 
英語をどうやって、マスターしたか?だけでく、あることが、
私の考え方や価値観(日本人が画一的な国民である、等)を
大きく変えました。その経緯をお伝えします。
 
 
英語の歌の意味を理解したくて、中学生のときから、
英語を勉強したことは今まで、お伝えしてきました。
 
 
その後も、英語の勉強は怠らずに、英語だけでなくて、
アメリカそのものに非常に興味を持つようになりました。
 
 
社会人になってもアメリカ好きなのは変わりません。
某電気メーカーの当時最大のIT子会社に就職するのですが、
 
 
上司には
「米国でのチャンスがあったら、ぜひ、声をかけてください」
と言い続けていました。
ある日、上司に
「シアトルに1年くらい行く、チャンスがあるのだが、行ってみるか?」
と言われました。
 
 
「ん?シアトルってどこやんねん?」となりましたが、何と、
マイクロソフトの新しいOS(Windows NT)の開発プロジェクト
への参加だったのです。
 
 
守秘義務があるので、詳しくはお伝えできないのですが、
マイクロソフトはOEMである大手電機メーカのエンジニアを
シアトル本社に招いて、共同で日本語版を開発したのでした。
大好きなアメリカで仕事ができること、しかも、マイクロソフト本社
でのチャンスなのですから、エンジニアにとってはこんなに
うれしいことはありません。
 
 
憧れのマイクロソフトでお仕事をさせて頂く事は、本当に素晴らしい
体験でした。毎日が新鮮でその仕事に没頭しました。
ある日、日本マイクロソフトの社員の方から、衝撃の事実を聞くことになります。
(技術的なお話で、分からない単語もあるかも知れませんが、
その場合は読み飛ばしてください。)
私はマイクロソフトの製品がどのように開発されるのか?
ということに非常に興味を持ちました。
 
 
というのも、当時、私は日本製OSの開発に関わっており、
日本との違いもあるのかなぁ?という軽い気持ちで、



私:
「カーネル(OSの中心部分。)はどれくらいの人数で
開発されているのですか?」



マイクロソフトの社員の方:
「んー、ほとんど数人でコードを書いたと思いますよ。
後のメンテナンスはもちろん、大勢のエンジニアが行いますが。」



私:
「はぁ?」



というのがその衝撃の事実なのです。



日本のソフトウェアの開発はある程度の教育を受けていれば、
「誰でも」、ソフトウェアの開発ができるような仕組みができています。
 
家電製品をつくるのと同じように、ソフトウェアも工場のように開発するのです。
「部品化」「モジュール化」「再利用」と素晴らしい仕様書、ドキュメントが
特徴です。



もし、開発エンジニアの一人が病気で仕事から外れることになっても、
引き継ぐ方はそれほど、問題なく引き継げるのです。



これは利点となる例なのですが、個性というものは、ほとんど必要なく、
大切なのは個性ではなく、ある程度の技術が理解できる、
「画一化された人間」なのです。だれでも同じことができることが
重要視されるのです。
 
マイクロソフトだけでなく、米国の多くのIT企業でも同じでなのですが、
日本のそれとは真逆を行きます。
 
つまり、注目するのは「天才」なのです。IQが普通の有能な人ではなくて、
より飛びぬけて高い人材を探します。
 
米国だけでなく、世界中から「天才」を探すのです。
 
また、「天才」も自分の力が発揮できる、マイクロソフトや
シリコンバレーに職を探すのです。
 
変わり者であることや、コミュニケーションに多少問題があろうが、
そんなことはどうでも良くて、評価する、される、のはその能力の
高さなのです。
 
あることが、きっかけで、とお話ししましたが、まさにこのことが
私の価値観を変えました。
 

そうか、「人と違ってていいんだ」と気がついた!

私は大阪出身です。就職で関東に来ましたが、慣れるまで、大変でした。
 
ボケに突っ込んでくれない(ここ、笑う所です。)、とか、
上司から、「標準語を使いなさい」と言われたことではありません。
 
人と違っていたり、目立つ事も、関東では良しとされない、
ことを感じて、いつのまにか、そうすることを辞めていたのです。

そうなのです。

「おお、人と違ってても、ええんやん!」

大阪生まれの私にとっては、むしろ、心地よい事実だったのです。

それ以降、「もう、人と同じように生きるのは、辞めよう!」という、

意識になったのでした。

マイクロソフトのプロジェクトが終わり、帰国して、日本での仕事に

戻りました。私の希望(アメリカでの仕事)を叶えて頂いたので、

その恩も返さないと、と思い、日本語化されたWindows NTの拡販に

翻弄(ほんろう)するものの、意識が変わってしまったので、

長くは続きませんでした。日本企業の文化に戻ることはできなかったのです。

外資系企業、サン・マイクロシステムズへの転職

マイクロソフトに入社することも考えましたが、既に、日本の

優秀なエンジニアの組織が確立してしまっていました。

そこで、より、スタートアップに近い、サン・マイクロシステムズ

に入社することにしました。

サン・マイクロシステムズ(現在はオラクル)は今でこそ、

JAVAで有名ですが、ワークステーションというハードウェア中心の

多国籍企業でした。

ソフトウェアはマイノリティであり、私が入社した時は「サン・ソフト」

という組織名で、Windowsと同じ、OSである、Solarisやメールサーバー、

アプリケションサーバーなどのミドルウェアの販売に力を入れていくところでした。

ここで、更なる、経験を積むことになります。

とほほ、外資系はやっぱり厳しいわ!

入社して、数週間でUSへの出張を命じられるのです。

外資系ではすぐに即戦力が要求されます。

「デバイスドライバの開発が遅れてるから、USに行って、

尻を叩いてきてくれ。できるまで、帰ってこなくていいから。」

といった具合です。

「おお、来た。シアトルに居たことやし、まあ、大丈夫やろ!」
と自信満々でシリコンバレーに向かうのでした。

でうまく行ったか?というと、早速、出鼻をくじかれるのです。

「おお、何を言うてるか、わからへんやん!」

何故でしょうか?マイクロソフトではドキュメント、バグデータベース

は英語でなので、英語力は必要でした。ただ、日本人の開発チームで

仕事をしていました。

USのエンジニアとのやり取りもあるのですが、メールがほとんどです。

つまり、会話でやりとりすることがほぼ無い状態だったのです。

「やばい、えらいことになってしもた。できるまで帰ってくるな、

っていうことやし、何よりこれができひんかったら、後々、

肩身の狭い思いをせな、あかん」

これが、最初の試練となるのです。

私の恥ずかしい、対処方法とは?

どうしたか?っていうと、何度も何度も聞きなおしたり、

「今のはこういう事なの?」「もう少し、ゆっくり喋ってくれへん?」

と半ば、泣きそうになりながら、何とか、コミュニケーションを取るのでした。

それでも、その仕事が進まないと、日本に帰れませんし、何より、

外資系では仕事が出来ない=事実上のクビ なのです。

日本では簡単にクビにはできないのですが、与えられる仕事が簡単な

製品になったり、だんだんと居づらくなって、辞めていくことが

多いのが現実なのです。

必死にがんばりました。日本からの仕事だけでなく、全世界からの

要求があるので、まずはその重要性を伝えないといけません。

でも、それ以前に、聞き取れない以上に、こちらの言いたいことが、

中々、伝わらないのです。

大阪出身で良かった!

ここで、本当に、大阪出身で良かったなぁ、と思い知るのです。

「恥ずかしい!」なんていうのは二の次にして、文法なんかも

全く気にしません。

ひたすら、大きな声で、下手な、英語で相手にしてもらうまで、

続けました。

USのエンジニアも、かわいそうになってくるのでしょうね。

少しずつ、耳を傾けてくれるようになりました。

アメリカ人が呆れるまで、あきらめない!

「わかったよ。優先順位を上げて、ドライバを書くよ」

「できたから、日本語環境でテストしてみて」

と少しずつ相手にしてもらいながら、仕事を進めました。

もう、必死でした。ホテルに帰るのが夜遅くになるのですが、

話さないといけないことを、ノートに書いて、それをできるだけ、

覚えて次の日に臨みました。

2週間ほどかかって、ようやく、待望のドライバが完成するのです。

本当に涙がでるほど、うれしかったのをよく覚えています。

こういう経験を続けながら、やがては日本のお客さんを本社に連れて行って、

開発部門を交えてミーティングをするまでに変化するのです。

「また、来たのか?君は開発部門が一番合いたくないSEだよ!」

と笑いながらですが、半ば本音の嫌味を言われるのでした。

日米の差を埋めるのが、私の仕事でした

日本の品質管理は世界一です。日本のソフトウェアは工場のように作られ、

そのソフトウェアを書くエンジニアは画一的である方が良いと、

非難するような口調で書きました(そう思って、転職しました)。

でも、外に出るまでは、その良さも見えないものです。

日本のソフトウェアは品質が飛び抜けて良いのです。

とくに大型コンピュータのソフトウェアは基幹業務で利用しますから、

非常に高いコストを掛けて、テストをするのです。

また、同じ外資系でもIBMは大型コンピュータでの機関システムの

経験が長く、品質も高そうでした。

私の担当した製品はこれらの品質の良い製品と戦わないといけないのでした。

USのエンジニアはものすごい勢いでソフトを開発します。

また、米国企業は品質に関して、日本ほどシビアでは無いのです。

ソフトウェアにバグ(不具合)は付き物。パッチ(ここのバグの修正)

やアップデート版で対応すれば良い、という考え方です。

この日米の差に非常に悩まされるのです。その差を埋めるのが、

仕事の大切な部分になります。

USの開発部門には「こんな品質だと日本では売れない」と、

何度も苦言を呈します。

その一方で、日本のお客さんにもお願いするのです。

「USのソフトウェアは日本の大型コンピュータ用のソフトウェアとは

開発の考え方が違うのです。できるだけ、差を埋めるように努力しますが、

理解してください。」と。

USの開発部門から、何で、一番合いたくないSEと言われたか?というと、

開発部門も売り上げには逆らえないからです。

英語もうまく喋れなかった私でしたが、失敗を繰り返しながらも、

担当した製品をどこの国よりも多く売りました。

日本からの要求を仕様にどんどん、加えさせました。

直接販売で無かったので、OEMのお客様(大手電機メーカーやIT商社など)

と昼夜を共にして、新規機能の追加と品質向上に努めました。

英語だけでなく、アメリカの文化も理解しました。

また、多国籍企業ですから、中国の部下もいましたし、

インドのエンジニアとも電話で会議をしました。

中国やインドの文化も知らないといけないのです。

インド人の英語は訛(なまり)がひどくて、電話会議は

大変なものでした。

英語は実践で鍛えないと、上達しません!

こういう経験から、鍛えた英語は強いです。

どうやって、議論すれば、アメリカ人に勝てるのか?

というと論理的な思考がどうしても必要なのです。

皆、大学でリベートを勉強してきているのです。

「論理とは何か?」「ロジカルシンキング」など独自で

どんどん勉強しました。

大前研一氏を好きになったのも、こういう背景があったからです。

「勉強しては、実践に生かす。」この繰り返しです。

「日本でグローバリゼーションの時代だ!」と言われて、長いですが、

結局、自分が経験する以外に理解できないと思います。

本を読むだけではダメなのです。

なぜ、あなたに勉強してください、と言うのか?

ですから、お父さんに英語を勉強してください。行動をしてください。

と言っているのです。

娘は子供の頃から、私が電話で英語を喋っているところを見ているのです。

大きな声で、喧嘩をしているところを見て、知っているのです。

「英語を勉強したほうがいいんじゃない?」と英語を読めない、

喋れない、お父さんが言っても、響きませんよ。

というのが私の言いたいことです。

また、シアトルに住んでいるときは妻も呼び寄せました。

週末には当時、とっても流行っていた「ツイン・ピークス」

というドラマのロケで使用されたレストランや、撮影場所の

滝やシアトルのダウンタウン、アウトレットなど、

本当に色々なところに行きました。

シアトルは大きな湖があって、ダウンタウンには橋で繋がっています。

マイクロソフトに歩いていけるほどの距離に私たちが住んでいたアパート

(アメリカのアパートメントというのは日本のマンション以上です。

トイレもシャワーも2つありますし、ゲストルームもあります。)

がありました。大自然に囲まれた、本当に美しい街です。

シアトルは大自然と美しい都市と同時に楽しめる、恐ろしくバランスの

取れた街なのです。当時(今は知りませんが)は、アメリカ人が住みたい街

No.1でした。

雨が多いのですが、ダウンタウンには超一流ミュージシャンが来る、

日本のブルーノートのようなお店があります。私と妻は、毎週のように、

そのお店で、音楽を楽しむのでした。

バンクーバーへも車で3時間ほどで行けますから、週末にカナダへの

一泊旅行も、簡単に行けるのです。

休みも取りながら、ロス、サンフランシスコ、アトランタなど、

できるだけ色々なところに行きました。

帰国直前には長い休暇を取って、車でどこまで行けるか?とカナダを

東にいける所まで行きました。

スキーは初心者なのですが、ウィスラーにいって、完璧な雪質に感動したり、

雪景色の中、屋外のジャグジーを楽しんだり、まるで、映画の一シーンのようです。

サン・マイクロシステムズはシリコンバレーですから、アップルなど、

色々な会社もあり、外部者でも入れるショップでグッズなどを買ったりしました。

休日はサンフランシスコに行きます。

また、サン・マイクロシステムズは毎年、世界中の売上成績優秀者に

対するご褒美で、色々な国へのプレゼント旅行があるのです。

光栄にも毎年のように、そのご褒美を受けることができました。

9ヶ月の娘をつれて、マウイ島に行ったり、オーストラリア、

タイ、など多くの世界中の街を訪れました。

そのご褒美旅行の最後の日には盛大なパーディがあり、まるで、

アカデミーショーのようなレッドカーペットが敷かれ、皆、

タキシード、ドレスで正装するのです。

このような色々な経験があれば、話題が無いということはあり得ないのです。

 

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ダンディ・パパ

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